ジャイアンとトゥールミンモデル

学習指導要領の改訂で「情報の扱い方に関する事項」が新設されたことで、論理・論証への関心が高まっているように思います。

国語教育研究では論証を捉えるモデルとしてトゥールミンモデルが取り上げられることがしばしばあります。

トゥールミンモデルは、C(主張)、D(データ・事実・根拠)、W(理由づけ、論拠)、B(裏付け)、R(反証)、Q(限定)の六つの要素によって論証をモデル化したものです。(詳しくはスティーヴン・トゥールミン『議論の技法 』)

このうちの、CとDとWを取り上げて「三角ロジック」と呼んだりする方もいます。

 

DとWとBが、Cの主張の「理由」に相当します。その「理由」を三種類に分けているのです。

しかし、この区別はなかなか難しく、主張に対する「理由」が二つ並んでいるだけではないかと思われるものも見かけたりします。

複雑な説明的文章の論証を分析しようとするときは私も混乱することがあります。

 

さて、DとWとBの「理由」の違いを説明するために、私がよく使うのが『ドラえもん』のジャイアンの論証です。

 

ジャイアンのび太に対してしばしば次のように言います。(以下、子どもの頃の記憶に基づいているので発言が正確でないかもしれません。) 

 

「おう、のび太。いいもん持ってるな。そいつ(=ゲーム等)をよこせ。」

 

これも一種の論証です。論証モデルに合うように発言を整理すると、

C:のび太のいいものはジャイアンに渡さなければならない。

D:のび太がいいものを持っている。

などとなります。

 

のび太がいいものを持っている」というのも主張を支える「理由」になっています。

しかし、のび太も納得できませんので、「そんな~、なんでだよ」等と抵抗します。

これに対して、ジャイアンが言い放つのがあの有名な台詞です。

 

「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの。」

 

これも「理由」です。そしてこれはモデルに合わせると次のような形に書き換えられます。

W:もしのび太がいいものを持っているならば、のび太のいいものはジャイアンに渡さなければならない。

 

DとWの何が違うかというと、Dは実際の出来事であるのに対し、Wは仮定や規則となっているという違いがあります。

CとDの文言とWの文言はほぼ同じとなります。それは、WがDからCをつなぐ(架橋する)ためのものだからです。

 

では、BはDとWとどう違うのでしょうか。

 

「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの。」に対して、のび太はまだ納得がいきません。そのような様子を見せると、ジャイアンは大抵、拳をみせつけて、のび太をだまらせます。

この拳を見せつけることも一種の「理由」です。書き換えると、

B:暴力に基づくと

などとなります。

 

このBは、Wを正当化するための裏付けとなっています。ただ、これは「理由」としてはちょっと特殊な事例です。「暴力」が「正当化」することになっているので。

 

このように身近な事例で当てはめてみると、各要素の違いがだいぶわかった気がします。

ただ、Bは特殊な事例だったため、他の事例も見てみるとよいでしょう。DとWの違いももっと見えてくると思います。