前々回の(1)では作家論的な考え方、前回の(2)では読者論的な考え方に基づいて、文学作品の意味を決めるのは誰かということを考えてきました。 もし文学作品の意味を決めるのが作者でも読者でもないとすれば、一体誰がその意味を決めるのでしょうか。 …
文学作品の意味は誰が決定するのでしょうか 作者でないとすれば、読者でしょうか。 もし作品の意味を読者が自由に決定してよいのであれば、作者が何を考えていたのかなんて考えることはナンセンスですね。作者のことを調べるなんていうことは時間の無駄です…
文学作品の解釈は作者が示した考えこそが正しいとしばしば思われています。 たとえば、「となりのトトロ」の登場人物に影がなかったことをもとにトトロは死神なのではないかといった噂が立ちましたが、スタジオジブリが否定したことで、そのような解釈は誤り…
国立奈良教育大学付属小学校で一部の教科で履修漏れ等の問題があったとの報道がありました。 国語科に関しては、報道や報告書によると、毛筆による指導が行われていなかったということです。 「大学によりますと、国語の「書写」では、2年間にわたって学習…
小学校の説明文教材を「はじめ・なか・おわり」の三段構成に分けることがしばしばあります。 「ありの行列」(光村・3年下)の「はじめ」と「なか」は、どこで分けるのがよいでしょうか。 よろしければ実際に分けてみてください。 おそらく「はじめ」を①段…
小学校の「書くこと」の教材として、「けん玉の作り方」(光村・2年下)と「いろいろなすがたになる米」(光村・3年下)という文章が掲載されています。 この二つの文章を読み比べてみると、いずれも「はじめ・なか・おわり」の三段構成になっていて、「な…
文学の読解を数学的に考えられないか、ということをしばらく考えています。 高校数学では問題の解答に「場合分け」を行うことがあります。 たとえば、aの値によって最大値・最小値をとるxの値が変わるような二次関数の問題で、a>1の場合とa≦1の場合とに分け…
前回、物語の実用性について記事を書きました。 今回は、物語の解釈についての考えを書きます。 「物語の解釈は読み手の自由だ」や「物語の解釈は一つに決まらない」といった考えがあります。私はこの考えに対して異論ありません。 しかし、この考えが、「物…
国語科では物語や小説を文学教材として扱います。文学の学びは、教養や人間観の理解や文化継承のためと位置づけられ、生活をより豊かにするものと認識されることはあっても、多くの人の仕事には直結せず実用とは異なる文脈にあるとみなされる場合が多いよう…
学習指導要領の改訂で「情報の扱い方に関する事項」が新設されたことで、論理・論証への関心が高まっているように思います。 国語教育研究では論証を捉えるモデルとしてトゥールミンモデルが取り上げられることがしばしばあります。 トゥールミンモデルは、C…
光村図書5年の教科書に掲載されている今井むつみ氏の「言葉の意味が分かること」という書き下ろし教材を用いた授業を観察させていただく機会がありました。 文章の要旨を捉えることを学習目標と位置づけた教材になっているのですが、その学習目標を達するに…
最近話題の生成系AIを知りたいので、国語教育に関する話題でChatGPTと対話してみることにします。まずは、「事実と意見の区別」についてお話してみました。 学習指導要領において「事実と感想,意見とを区別する」とあるなど、学習者が身につけるべき重要な…
ことばや教育に関わる考えや思いつきをまとめていく予定です。更新頻度はかなり低いと思います。よろしくお願いします。